本の特盛り――横山哲也の読書のススメ 第10回

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■赤頭巾ちゃん気をつけて
庄司薫著 新潮文庫/ 483円(税込)
 ぼくは時々、1950年、つまり20世紀の真ん中に生まれた「庄司薫」という男の子が、(男の子といってもぼくよりひとまわりも年上なので、今では立派なおじさんを通り越しておじいさんに近いのだけど)、今頃どこで何をしているのかを考えることがある。彼が高校を卒業する時期は70年安保や学生紛争で大変だったのだけれど、今の日本も別の意味で相当に大変な事態になっているんじゃないだろうか。そして彼は、高校3年生の2月に決意したように、海のような男・森のような男になれたんだろうか。
 おっと、ここでいう「庄司薫」は、もちろん小説家の庄司薫じゃなくて、小説家の庄司薫が書いた小説の主人公の庄司薫のことだ。ああ、ややこしい。もちろんややこしくなるように計算された結果なのだろうけどね。
 「赤頭巾ちゃん気をつけて」は1969年に発表されたベストセラー小説で、芥川賞を受賞した有名な作品なんだけど、高校生の時に読んだぼくは、これはもう、ちょっと猛烈に参ってしまって、「白鳥の歌なんか聞こえない」「さよなら怪傑黒頭巾」「僕の大好きな青髭」と、赤白黒青の4部作を一気に読んで、エッセイ集はもちろん、単行本未収録作品「恐竜をつかまえた」「アレキサンダー大王はいいな」も図書館で掲載誌を読んだくらいだった。
 おまけに、ミーハーにも、庄司薫が通っていた日比谷高校を実際に見に行って、校門前の坂も確認した(作者も主人公も日比谷の卒業生だ)。まあ、当時ぼくは京都に住んでいたし、高校生に東京行きの旅費がホイホイ出せるわけもないので、実際には大学生になってから行ったのだけど。
 ついでに、銀座のソニービルにも旭屋書店にも行った(旭屋は2008年に閉店)。今では信じられないかもしれないけど、薫くんが高校を卒業した1969年当時の銀座は若者の街で、怪しいファッションの若者が闊歩していたらしい。銀座「みゆき通り」の「みゆき族」なんてわからないよね。まあ、その若者が今だに銀座で遊んでいるから銀座が「大人の街」なんて言われるわけだけど。だからあと20年もすれば渋谷は「大人の街」になるんじゃないかな。
 もちろん新宿御苑も行った。こっちは「僕の大好きな青髭」に出てくる場所だけど、長くなるからやめてこう。もちろん、深夜に忍び込んだわけじゃないよ、昼間に入場料を払って入ったんだ。ノンとアコちゃんと座っていた赤坂山王神社の階段も登った。こっちは「さよなら怪傑黒頭巾」だ。
 1969年は当時の社会情勢もいろいろ調べた。何しろこの本には、いろんなことが説明なしに出てくるのでまったく油断できない。「あなたってケーコートー(蛍光灯)ね」は、ぼくの子供の頃はまだ使っていたし、ピンキーとキラーズとか水前寺清子もいいとして(1962年生まれのぼくは全盛期のピンキラをちゃんと見て知っている)、酒井和歌子とか内藤洋子になるとちょっと怪しいし、「サンパ」と「ミンセー」は長いことわからなかった。いや、ミンセーが日本共産党の青年組織「民主青年同盟(通称「民青」)」というのはすぐわかったよ。今でもあるからね。でも「サンパ」がわからない。最初は「賛派」かと思ったのだけど、なんか違う。いろいろ調べて、現代書館から出版されていた「FOR BEGINNERSシリーズ」の「全学連」を読んで初めて「三派全学連」のことだとわかった。今なら検索エンジンで簡単にわかるけど、当時は本当に大変だったんだ。
 ずっとわからなかったのは「異端者の外套」というブレヒトの短編で、これはブレヒト全集とか図書館で散々探したのだけど、どうしても見つからなかった。最近、この文章を書くのに思いだしてググってみたら加藤周一という人が、1956年の「群像」で日本語訳を発表した作品だったことがわかった(さすがGoogle…って、本当はそれをブログに書いた人がえらいのかも知れないけど)。2003年に、かもがわ出版から非売品として配布され、Amazonマーケットプレイスで入手できることがわかったので早速発注した。実に35年ぶりの念願達成、というわけだ。
 今の20歳代の人は、たぶん電話の扱いがわからないと思う。薫くんの頃も、ぼくが学生時代も、電話回線は家に1本しかなく、ガールフレンドと電話で話をするには家族に取り次いでもらう必要があった。だから学校で「何時頃電話するから」とあらかじめアポを取っておいてから電話するという笑い話みたいなことも普通にあった。
 ところが、アポを取った日は油断しているから、うっかり母親が電話を取ってしまったらもう大変だ。何しろ母と娘の声はたいてい似ている。しかも約束しているから当然本人が出ると思うのに、話してみると母親だった。この気持ちは、携帯電話世代に絶対わからないだろうな。本当に今の人がうらやましい。
 おっと「赤頭巾ちゃん気をつけて」の話だった。この本、ハードカバー版の帯には「女の子にも負けず、ゲバルトにも負けず、男の子いかにいくべきか」というコピーが書いてあった(ゲバルトは「暴力」の意味で学生運動に伴う暴力のことだ)。著者の庄司薫が自分で付けたコピーらしいけど、さすが著者だけあって、この本のことをよくわかっていらっしゃる。これはちょっと失礼な言い方かな。でも、作者自身が自著の魅力をわかっていない例ってのも結構あるからね。
 「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、いろんな意味でとてもさえない男の子の話なんだ。何しろ、大学紛争で東大入試が中止になり、飼い犬に死なれ、足の親指の爪をはがすという状態から始まるわけで、そこからしてさえてない。
 念のため書いておくと、東京都立日比谷高校は東大進学校として有名で、薫くんも東大を受験する予定だったわけだ。おまけに、幼なじみのガールフレンドの由美ちゃんとは早々に喧嘩してしまうし、美人の女医さんの誘惑を振り切り(誘惑じゃないかもしれないし、振り切ったというより何もできなかったのだけど)、そして途中を思いっきり省略するけど、社会に対する憎悪まで生まれてきてしまう始末だ。
 それでも、銀座の旭屋書店で会った女の子をきっかけに、なんとか気を取り直し、「男の子いかにいくべきか」という決意表明をするというのがあらすじだ。うーん、こんな説明じゃ全然面白くないな。まあ、いいか、主人公の庄司薫くんも「物事をつまらなくする才能」に長けていたそうだから、きっと許してくれると思う。
 まあ、実際の薫くんは、山の手の中流家庭に育ち(お手伝いさんがいる家は、今ではほとんどなくなってると思う)、由美ちゃんという素敵なガールフレンドがいて、日比谷高校に通っていて、ピアノが弾けて、軽自動車免許を持っている(知らないと思うけど、昔は16歳で軽自動車免許が取れた、つまりバイクと似た扱いだ)。だから今の言葉で言うと「イケてる」男の子の部類なんだけど、それは置いておこう。もしかしたら1969年当時はもうちょっと無頼派の方がモテたのかもしれないしね。
 ぼくは「赤頭巾ちゃん気をつけて」でいろんなことを学んだと言っていいと思う。水族館にデートに行くとか(京都には水族館がないので実現したのはかなり後だけど)、お汁粉屋でお雑煮を食べることとか、チャンスがあっても何かに頑張ってしまってモノにしなかったこととか(これは学んだと言えるかどうかわからないけど)、まあいろいろあったわけだ。
 「中村紘子さんみたいに若くて素敵な女に先生について(ピアノを習いたい)」と書いたことがきっかけで、中村紘子さんと本当に結婚しちゃったという話もあったので、雑誌記事に斉藤由貴とか広末涼子とか篠田麻里子の話を書いてみたこともあった。もちろん何も起きなかったし、それどころか編集者からは「画面サンプルにアイドルの名前を使うのはやめてください」と注意されてしまったくらいだ。あーあ、まったく情けない。
でも、一番強い印象を受けたのは冒頭部分にある由美ちゃんとの会話だろう。
由美ちゃん 「エンペドクレスって、世界で一番最初に、純粋に形而上的な悩みから自殺したんですって」
薫くん 「へえ」
由美ちゃん 「それでヴェスヴィオスの火口に身を投げたんだけど、あとにサンダルが残っていて、きちんとそろえてあったんですって」
薫くん 「へえ」
由美ちゃん「素敵ね、エンペドクレスって」
薫くん 「うん」
由美ちゃんが感動しているのに薫くんはうっかりこう言ってしまう。
薫くん 「エンペドクレスってのは、例の、イオニア派のあれだな」
怒った由美ちゃんとの会話はこう続く。
由美ちゃん 「へえ、あなたよく知ってるわね」
薫くん 「だって受験生だからね、まあ、八百屋がキャベツを売るようなものだ」
由美ちゃん 「ほんとによく知ってるわ」
薫くん 「つまらないことをいっぱい、ね」
 まあ、実際に学ぶべきだったのは「人が感動しているときは、どんなに変なことでも相手に共感せよ」なんだけど(読み返してみたらちゃんと「共感すればよかった」と書いてあった)、そこまでは学べなかったのがヨコヤマテツヤの限界だ。「何でも知識をひけらかすものではない」ということすら学んでいないわけだけど、ただ「よく知ってるわね」と言われたら「つまらないことを、いっぱい、ね」という台詞だけは覚えた。実際のところ、この時点で由美ちゃんは「舌かんで死んじゃいたい」くらい怒っているので、この台詞を学ぶことに何か意味があるのかというと、おそらく全然ないのじゃないかと思うのだけど。
 「赤頭巾ちゃん気をつけて」と、直後の続編「白鳥の歌なんか聞こえない」は映画化され、前者はDVD化もされている。主人公は岡田裕介で、今や東映の社長。時代も変わるもんだ。例によってファンは反対したらしいけど、ぼくの目から見ると原作の雰囲気をうまく再現していて、なかなかよくできていると思う。薫君の大人に対する丁寧な言い方も良かったし、銀座のシーンも印象的だった。山岡久乃は若い頃からおばちゃんの芸風だったことも確認できた。
 それともうひとつ。もともと「赤頭巾ちゃん気をつけて」シリーズは中央公論社から出版され、中公文庫に収められていたのだけど、今回、新潮文庫から発行されることになった。赤と白はもう出版されていて、このあと黒青とつづくのだけどAmazon.comにアクセスすると、「新潮文庫『赤頭巾ちゃん気をつけて』を買った人はこの本も買っています」として、中公文庫版の『白鳥の歌なんか聞こえない』が上がっていた。
 いや、別に中公文庫を買ってもいいんだけど、新潮文庫版には著者の新しい後書きがついているので、やっぱり今から買うなら中公文庫版よりも新潮文庫の方がいいんじゃないかと思うんだ。あと「白鳥の歌なんか聞こえない」の「頼りない現代のハイティーンが、薫クンの空しさをどれだけよみとれるか、成長の重さ深さをどれほど感じているかは疑問である」という高見沢潤子の、まったく失礼な解説も削除されているしね。
 さて、もうきりがないのでこれで本当に終わる。最後まで読んでくれてありがとう。自分のことばかり書いてしまって本当に申し訳ない。でも、この本を紹介するには、自分がどれだけ影響を受けたのかを書いた方がいいと思ったんだ。
 もしこれを読んで、実際に「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読んで、そして、少しでも面白いと思ってくれたら、ぼくは本当にそれだけでいいと思っているんだ。編集担当者はこのページ内にある「いいね!」ボタンとか「Twitter」ボタンを、ポチッとしてほしいかもしれないけどね。あと、庄司薫の話は次回も続くので許してほしい。まあ、でも、この文体で書くのはちょっと疲れるので、スタイルも元に戻すつもりだけど。
◆ 明日読んでもらいたいささやかなあとがき
4月19日は小説家の庄司薫、つまり本名福田章二氏の75回目の誕生日だそうだ。ますますのご健勝をお祈りするとともに、できれば庄司薫くんのその後や、小説に全く登場しないお姉さんのことを教えていただけると、ファンとしては大変嬉しいのですが、いかがなものでしょう。
(横山哲也/グローバル ナレッジ ネットワーク)
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by pachifu | 2012-04-19 06:06